PROFILE
天然染色研究所
なりたち 〜田島の染〜
大正2年(1913年) 所長田島勝博の祖父錦四郎が田島染工株式会社を創業する。先染(糸染)の染色工場として手仕事中心に事業を続ける。昭和18年(1943年) 父である基一が会社を受け継ぎ機械化を進め、旭化成の師弟工場となり当時最先端のチーズ染色やケーク染色などを技術的な向上により制作能力も向上し、従業員も増加する。3代目である兄の敏明の頃から少しずる繊維産業は中国などに生産が移り縮小し、平成12年(2000年)に廃業する。
勝博は田島染工株式会社に1962年に入社し、試験場で染料の調合する部署に在籍し、兄が社長、次男の勝博が専務となり技術的な仕事を任されていた。会社で務めながらも、自宅を改修し1980年代から草木染めの研究に没頭する。2000年に工場を閉じたことを契機に、天然染色研究所を森家の穀物蔵にて開所する。
田島の染を100年続けたいという想いからはじまったが、現在は年月が過ぎ去り続けている。
天然染色研究所 所長 田島勝博
昭和17年(1942年)生まれ。先染の化学染料の染色から草木染めまで幅広く精通。伝統色の復元や、薬膳と染の関係などを研究している。また彦部家住宅で弓棚式高機の復元なども行っている。染・織の体験教室などを随時開催している。
草木の染色など。雅楽染料のこと。織機(弓棚式高機など)
所在地: 〒376-0031 群馬県桐生市本町1丁目3−9 電話: 0277-43-1089
研究員 田島史朗
美術大学を卒業後、他物のとの関わりから生まれる変化に着目し制作活動をしている。父である所長から草木染めのこと、化学染料のことなどを学ぶ。特に染料を育てる事に興味をもち藍の栽培、蒅、建てるの一連のことや、日本紫、日本茜の育てている。美術の文脈から染色を見たときに、自然や人の営みの繋がりが見えてきた事を形にしていきたいと考えている。
所在地:東京在住